作為の小賢しさ

今回はちょっと難しい話です。

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賢しい考えから生まれたキャラクター(登場人物)の物語で、人が真に感動することは稀です。
シーンありき演出ありきの考え方ではキャラクターに深みが生まれず、必然的にその行動は
一貫しなかったり、ご都合主義的だったりと、悪い意味で「超人的」になります。
私がFFに感じるのは、こういう「わざとらしさ」なのです。これは.hackでもそうです。
なぜそのキャラクターがその考えを得るに至り、その行動を取るに至ったか。
原則的に、物語とはキャラクターたちの行動によって顕れるものであって、ストーリーが先に
存在しているわけではないのです。人が物語(人生)を創造していくのです。
きちんと考えていくならば「人間そのもの」への深い洞察が必要になりますが、この視点が
欠けている作品が多いように、私には思えます。

ぶっちゃけて言ってしまえば、魂(SoulでもSpiritでもいいです)が感じられなければ、それは
どう演出が凄かろうと、どれだけゲーム自体が面白かろうと、単なる自己満足的作品です。
個人的な考えですが、ゲームのみならず何かを創ることに携わる人間は、考えるだけでなく、
つねに「作為」を捨てる努力も必要だと思います。
受け取り手が「作為」を感じた瞬間、その受け取り手は、作品に対して萎えてしまいます。
それはクリエイターの絶対的な「敗北」に他なりません。
メジャーなコンシューマーゲームを見てみれば、いかに「敗北」している作品が多いことか。
メジャーな作品が「勝利」し続けなければ、ゲームが文化として根付くのは遠い話でしょう。

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この「敗北の傾向」は、ゲームだけではなくて社会全般に感じていることだったりします。
何といいますか・・・「巫」としてモノを創る人が少なくなっているような気がします。
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by lana_ro | 2006-04-06 20:20 | 一般(考え事)  

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