生きる力

ちょっと今日は「だ・である」調で書きます。

----------------------------------------



どうも最近、バラ色の未来や希望に満ちた人生とやらを(歌やテレビなどで)見聞きすると、正直
バカバカしいと思えてしまう。

毎日楽しく生きよう、とか、何とかなるさ、とか・・・暗いところばかり見ないで明るいところを見て
生きていこうとする姿勢はそれなりに理解できるし、一面において共感はできる。
けれど、見たくないものから逃げるために、嫌なことや暗い面を見ないようにして、努めて明るく
生きていくのは、人生のスタイルとしてどうなのだろう。

二人で一緒にいることの幸せを歌う。
生きていれば必ずいいことがあると語りかける。
未来には希望があると説く。

そんなものは嘘っぱち・・・とまでは言わないけれど、ネガティブな部分があって、避けられない
という事実は、見逃されているのだろうか? それとも触れないようにしているのだろうか?

ぶっちゃけて言えば、好きなことも嫌なことも両方あるのが世の中で、ヤなこと忘れよう、なんて
言われても仕方ない。どう希望にすがりつこうがどれだけ逃げようが、人生において嫌なことは
必ずやってくる。そしてまた逆に、どれだけ絶望しようとも苦しもうとも、楽しいことや嬉しいことは
同じように必ずやってくる。
端的に言えば・・・世の中は甘くない、けれど世の中は捨てたものでもない。

安易に希望を語る人は、本当に希望を持てていないからこそ、希望を語る。
それは「在るべき」希望なだけで、人を夢に耽溺させ、覚めた後により深く絶望させるだけ。
望む未来を想像して、望ましくない現在に目を向けないだけ。
でも人は、現在に生きるしかない。
希望も絶望も人生の伴侶。

もっとも、絶望している時は本当に辛い。
何処から来るとも知れない痛み、心が締め上げられるような苦しさ、灰色に見えてくる風景・・・
先の見えない恐怖だってあるだろう。自分って何だろうと悩み続ける日々だってあるだろう。
でもそれらは、避け得ないもの。
生き続けようと思うなら、いつまでも逃げ続けるわけにはいかない。

----------------------------------------

都合のいいことだけを見せて誤魔化そうとする風潮を、最近は強く感じる。
未来を夢見る姿はあっても、絶望から踏み出すささやかな希望はない。
綺麗事ばかり語られても、歌われても、私の心には全く響いてこない。
そんな綺麗事を語るなら、その裏面にある汚濁も呑み込んだ上で語るのが筋だろう。
プライベートの皮相的な部分で悲しみを歌うものはあるし、ネガティブな面を歌うものもある。
ドラマでも、困難を乗り越えて幸せになる物語はある。
けれどそれらは、麻薬のような夢であっても、苦い薬のような現実ではない(と思う)。

クリスマスや年末が近付いて、実感の伴わない空虚な「希望」や「幸せ」が世を踊り始める。
夢を見ることばかり覚えてしまうと、現実に対処していく力や知恵は身に付かないし、と同時に
身に付けようともしなくなる。果ては、現実に適応することを拒否して、自ら命を絶つこともある。

生きる力を身に付ける、などと教育分野の人々は語るけれど、私から言わせてもらえば、その
「生きる力」とは、絶望と友達になることだ。苦しみと悲しみを受け止め、味わえるようになった時
こそ、人生の全てを受け入れられる力が生まれる。
生きていくことは、現実を受け入れていくことでもあるから、生きる力とは、結局「現実をどれだけ
受け入れられるか」ということになる。現実を見抜く力や改善していく力(学力)はその後でいい。

とはいえ、生きる力を備えている大人がどれだけいるのか、という問題もあるけれど。
でも、せめて自分自身は、生きる力の体現者でありたいと思う。
[PR]

by lana_ro | 2006-12-03 17:09 | 一般(雑記)  

<< アイテム課金 キルハイル・クエスト >>